脱会できて、2年くらい経った
ある宗教に、2歳の頃から家族入信していた。母は熱心だった。集会に小さな私を連れていった。父と祖母は宗教に反対だった。
祖母からどこに行っていたのか聞かれ、私は度々嘘をついた。
嘘は見透かされていて、めちゃくちゃ怒られた。邪教だと言われた。
父と祖母は母やその実家を良く言うことはなかった。いつも何かしら疑っていて、母が実家に帰ることをよく思っていなかった。
しかし、父と祖母だってお互いに疑っていた。それが分かったのは祖母の遺品整理をした時。日記を見つけた。息子である父へのどうしようもない感情。
それは結局改善されないまま、祖母はあちらに旅立った。
祖父が亡くなった時の日記も見つけた。心の支えだったようだ。
話が脱線したけれど、宗教による分断があるお陰で家庭は更に険悪だった。
私は小さい頃から入信しているだけで褒められるその環境の居心地がよく、学生時代に活動をとても頑張った。リーダーを何度かした。若者への使命感をくすぐる言葉を沢山貰い、我儘を言いながら、年上の方々に支えてもらい、若さならではの無茶スケジュールをこなした。
携帯には500人くらい電話番号が入っていた。大学、サークル、バイト関係より宗教関係の人たちが多かったように思う。
ずっと、心の支えであるにも関わらず、宗教の事を知人や友人に話せなかった。話すときはなぜか涙が出てきて情けなくなった。
こんなに自分が大事に思っている思想なのに、世間の人は悪く言うのが分からなかったし、弱小の自分が色々言っても理解されないだけだった。
宗教を守るための嘘は許された。踏み絵は踏んでも心に信仰があればよいとアドバイスを受けた。
進路は全て宗教が決める事だった。いくつか選択肢を用意して向かった。働けとの事だったので働くことになった。
上京して、働きだして、忙しくなって、周囲に信仰を共にする人がいなくなった。
宗教の売店で買ったキーホルダーを隠すようになり、つけなくなった。
毎朝様々な仏様の名前を唱えておはようございますと起きていたのに、しなくなった。
困ったときだけお題目を唱えていたがそれも無くなり
信仰心はいつの間にか無くなった。
結婚した。
夫は無宗教で、神様みたいな人だった。
自分で人生を選んでいる人だった。
自分の行動や言動にいちいち細かくフィードバックをくれた。
向いてること、向いてないことをよく観察したうえで、あくまで自分の意見は、というスタンスで話してくれた。
めちゃくちゃ喧嘩したけれど、その分お互いの言い分を少しずつ折り合えているように思っている。そう思ってるのは私だけかもしれないけど!
義実家も凄かった。家族の形はそれぞれだし、細かくは言わないけれど、大事にされることとはこういう事なのだ、と教わった。
私の中で宗教が完璧に不要になり、脱会した。
おけさをつけずに入る寺は緊張した。
一枚の紙に数字と名前を書いて、あっという間に脱会は完了した。
脱会直後にまだ一歳に満たない息子と入ったおしゃれカフェで、息子は熱いスープをひっくり返し、手を火傷した。
でも対応がうまくいって、息子は跡が全く残っていない。
翌月に娘が家の中で高い所から落ちて頭部を縫う出血。初めて救急車に乗った。
でも娘は元気になり、今日も朝から一つ工作を完成して園に向かった。
その翌月に姉が謎の腹痛で戻し続け、付き添って入院した。
でも姉は2日くらいで退院でき、今日も年々反抗心を強めつつ楽器を弾いて元気に学校へ行った。
翌年には夫が初期のがんだと分かり入院、手術、急変して一時生死をさまよった。
でも今の所治って元気に出社している。凄く忙しいけれど毎晩娘たちとの手紙のやり取りは欠かさない。
義実家とはうまく話せた、と思っている。相手はどう思ってるか分からないけれど!
その都度実家にも報告した。
その都度コミュニケーションで辛い思いをした。
宗教をやめたせいだ、はやく戻ってこい、宗教の偉い人からもこれからあなたには不幸が待ち受けていると言われたりとか
がんに効く物質が入ったクリームを大量に送りつけられたりとかした。
実家に家族の事故を報告できない、無事を共に喜べない。回復したと報告したら、親が宗教に祈りを届けたからになってしまう。
そりゃぁさ、私なんて実家から見たら何一つ成し遂げたこともない弱い人間。でもさ、だからって手柄が全部宗教に持っていかれるのは嫌だし、小さな小さなことでも、自分頑張ったねって思いたい時はあるんだよ。
勿論自身の家族入信の宗教とうまく折り合いをつけて、ずっと信仰している素晴らしい人は沢山見てきたし、これからも出会うんだろうと思う。
本当は家族入信を抜けたくて抜けきれない人にピンポイントで伝える手段があればと思う
けれど、その手段はないからこのブログに書き散らす。
大丈夫ですよ!!抜けても意外と。
起こった不幸は大体他の方法で改善可能だ
思想をアップデートすればなんとか対応可能だ。
勿論個人的に思想や宗教を学んで参考にしてもよいのだ。
また落ち込むことがあるかも!それはその時に対応できればよい。
とにかく、恨まれるかもとか見えない力が働いて不幸が続くとか、思わなくて大丈夫
その不幸は宗教にいてもいなくても、起こったことだから
実家とはその後、育てている野菜の写真を送ってコメントし合う時は冷静に話せる事が分かり、今もそうしている。何かしらでお互い平和に繋がる方法って、あるもんだなあ。