ニュートラルになりたいな

三人子育て中。今後の人生を模索中。

感情について

私が小学生だった頃、サッカーが好きでした。

蹴った通りに飛ぶのが嬉しかったし、

幼稚園にいたころサッカーの時間があり、そこで褒められた経験があったから。

そして、ボールをコントロールできる、という自信があったんです。

 

小学校の体育の時間に、試合がありました。

ボールの競り合いになりました。

相手は結構キツイ言い方をする男の子。

「どけよ!じゃまだ!」

その言い方が悲しくて、私は走るのをやめてしまいました。

 

結局ボールを取られた形になり、チームにも貢献出来ず。

今でもふと思い出すエピソードです。

 

その男の子には強い思いがありました。

絶対に、俺が、点を取ってやる、という。

私にはそれがなかった。

 

そんなに強い気持ちがないから、譲ろうと思ったのかも。

強い感情に揺さぶられることが、嫌だったのかもしれない。

 

 

では、強い気持ちがあれば、チームにとってよいことであれば

「じゃまだ!」と言えるのか。

何でも譲る必要があるのか。

小学生からかなり時間が経ってしまいましたが、考えるようになりました。

 

どんなに、チームにとってよいことだと思っていても、

それが誰かの心の重荷として残るなら、それはよくないかな。

 

強い気持ちがあるなら、多少の悪いことは仕方ない?

いや、どんな事柄も向き合って反応を判断することができるはず。

 

時間がかかってもよくて、それはつまり試合の後でもよい

振り返って、あの時自分はこうすればよかった、という事を自分なりに落とし込む。

 

自分なりの理解は自分の色眼鏡をどうしても通してしまうけれど。

 

それを意識したうえで、自分が理解した内容を少しずつ周囲に話す。

 

そうすることができるなら、いいのかもしれない。

 

その試合が一生で一度だけしか参加できない大きなものであるなら、また話は変わるかもしれないですね。コロナ禍においては、感情的な判断は少なくないと思うのです。

 

感情をもつ人間の行為から完全に感情を外すことは不可能だと、

以前『人間の建設』という本を読んで思ったのでした。

https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E5%BB%BA%E8%A8%AD-%E5%B2%A1%E6%BD%94-ebook/dp/B00CL6MTHS

 

サッカーというか、ボールを蹴るのは今でも好きです。

好きな気持ちを大事にし続けられたのは有り難いことです。