赤い車
息子が自転車の子供用座席に座った後。
自転車につけている、レインカバーを開けたまま走って!とぐずった。
風が強い日だったし、開けたままでは走れない。
ちょうど目の前にボンネットが空いた車があったので、一緒に見ようと声をかけた。息子は頷いた。
一緒にじっくり観た。エンジンあるねぇ、パイプが沢山だねぇ、バッテリーかな。私は知識がないなか、見たままを息子と話し合った。
そして、車はボンネットを閉めて走るね、カバーも閉めて走ろうと言ったら頷いてくれた。
無事に帰れた。
たまたま、ボンネットが空いた車が近くにあったから、すんなり帰れた。
とても、その場しのぎ。
でも、とりあえず一段落。
登園のお支度、苦手メニュー、親とのすごろく。子供の思いにそぐわないけれど、言うことを聞いてもらうしかないな、という時に
子供の気持ちが落ち着くまでのひと手間が不意に必要になる。
なるべく事前の声掛けや持ち物用意で対応してあげたいけれど、難しい時ばかりだ。
そういう時に、たまたまあったボンネットの空いた車のような存在に助けられる。
そして、そこから思い出す。
子育てが、様々な方にどれだけ救われてきたかが、ふわっと湧くときがある
親がいない公園でケガした娘に対応してくれた方
電車で子供達が泣いた時に飴をくれた方
習い事の面談なのに子育て悩み相談をしてしまった先生
いつも声をかけてくれるおじさん、おばさん
娘が美味しそうだと果物を眺めてたらオマケでくれた八百屋さん
子供の搬送先が見つからなくてぷるぷる震えながら電話をかけて探している時に、隣にいてくれた方
最近話せた友人の皆様。(聞いた話は、いつか纏めたい話ばかりでした、凄かった)
書ききれない多くの方々。
あぁ、そういう人になりたいなぁ。と思う。
頼って嬉しかったって経験が多かったら、頼られる人に憧れが湧く。
その人たちは自分の中で赤い車みたいになって、ちょっとしんどい時に心を明るくしてくれる。
SNSでもそうで、凄い熱量をもって発信を続けている方がいる。
その方の膨大な記事を少しずつ読んで、追いながら
ああ、まだ自分は誰かを頼る存在でしかない、と思う。